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Hitachi

日立インダストリアルプロダクツ新卒採用

圧縮機(SIDE STORY)

入社6年目で、 巨大プロジェクトを支えた 若きエンジニアの奮闘。 入社6年目で、 巨大プロジェクトを支えた 若きエンジニアの奮闘。

PROLOGUE

日立史上最大の圧縮機受注となった、中東・X社の新都市開発プロジェクト。受注した数十台のうち3分の1は、プラント建設会社(以下、EPC:Engineering, Procurement, Construction)が建設を請け負ったプラント向けだった。その製作進行を託されたのは、まだ入社6年目の若手エンジニア。チームリーダー長西克幸(以下、長西)のもと、日立の代表として、EPCと日立・設計チーム、そしてサブベンダーとの間に立ち、プロジェクトの進行に奮闘した。

イタリアと日本を行き交う大量の図面。 イタリアと日本を 行き交う大量の図面。

EPCが建設するのは、巨大な石油プラントを構成する重要なプラントで、日立はそのプラント向けに、10台を超える遠心圧縮機を受注した。圧縮機は、プラントの心臓部。圧縮機が稼働しなければ、石油プラント全体が動かない。新都市開発プロジェクト全体にとっても、大きな使命を帯びた機械だった。
入社6年目のプロジェクトエンジニアである梅田準(以下、梅田)は、ベトナム納めの別案件を終え、EPCからの正式発注と同時にこのプロジェクトに加わった。梅田の仕事は、プロジェクトエンジニアとして、プロジェクト開始から製品納入まで、プロジェクト全体をゴールへと導くこと。その業務はじつに多岐にわたる。全体のスケジュール管理、そして予算管理まで、プロジェクトエンジニアは社内外をつなぐハブであり、プロジェクト全体の司令塔となる存在だ。顧客であるEPCの要望を受けて議論や交渉を行いながら仕様を固め、社内の設計チームと図面を仕上げていく。それをもとに製造現場を動かしながら、モータやギアなど圧縮機を構成する機械を作るサブベンダーとの窓口にもなる。じつは梅田自身、プロジェクトエンジニアとしての仕事はまだ2案件目。しかも、受注した圧縮機は同一機種ではなく、サイズや仕様、制御方法などの違いで4機種あった。大型かつ複雑な案件。不慣れな状況の中でも、梅田は必死に食らいついていった。
「いちばん大変だったのは、膨大な図面のやり取りですね。圧縮機は量産品ではなくオーダーメイドなので、お客さまの要望を聞きながら、それを社内の設計チームに伝え、一つひとつ仕様を決めなければなりません。今回は4機種あったので、図面が全部で400種類以上ありました。海外にあるEPCとはメールでやりとりしつつ、時差を気にしながら電話会議やウェブ会議も頻繁にしていましたね」。

現場がひとつになって迎えた緊張の瞬間。 現場がひとつになって 迎えた緊張の瞬間。

今回のプロジェクトにおいて大きな課題となったのは、圧縮機を製造する工場の確保だった。通常、日立の圧縮機は茨城県の土浦事業所で作っている。しかし、EPCのオーダーには通常よりも大型の圧縮機が含まれており、それを土浦事業所で作ると、中東に向けた出荷の際に港となる横浜への輸送ができなくなるという問題があった。そこで、鉄道車両などの大型製品を製造し、海外にも出荷できるように港と直結している山口県の笠戸工場に協力を仰ぎ、梅田も、たびたび笠戸工場に足を運んだ。
「普段、他の工場の方と仕事をする機会はほとんどありません。今回、工場の垣根を超えて、さまざまな部署に製作上の指示を理解してもらうため何度も現場に足を運び、関係者の皆さんと一緒に作業を進めました。自分は設計だから座ってなんていられませんからね」。モノづくりの熱気が高まり、現場がひとつになっていった。

そのハイライトとも言えるのが、出荷前に顧客の立ち合いのもと行われる最終検査。きちんと契約どおりに性能は満たされているか。EPCの検査官はもとより、プロジェクトオーナーのX社からも検査官がやってくる。X社は、プラント設備に関する要求基準が非常に厳しく、同様の中間検査も多く行われる。その総仕上げとなる最終検査には、梅田もプレッシャーを感じたという。
「もしこの検査に失敗すると、納期もコストも一気にアウトになってしまいます。ここまで、たくさんの方の力を合わせてようやく最終検査にたどりついたので、失敗は許されない。事前にできる検証はすべてやったという自負もあったので、チームの力を信じて検査に臨みました」。
そして、無事合格。そのとき梅田を包んだのは、大きな達成感でも、重圧からの解放感でもなく、ホッと胸をなでおろすような安堵感だった。

失敗を繰り返しながら、成長し続ける。 失敗を繰り返しながら、 成長し続ける。

梅田は、学生時代は化学系の専攻で、入社時は機械系の知識はないに等しく、圧縮機のことも知らなかったという。英語も、人事担当者が心配するほど苦手だった。それでも、周囲の先輩たちと現場に鍛えられた。
「このプロジェクトは、私のプロジェクトエンジニアとして2案件目の仕事で、これほどの大型案件を担当するには未熟だったと思います。実際に、大小さまざまなミスや失敗もありました。一回失敗して学び、次こそはと思って臨んでも、なかなかうまくいかない。その繰り返しでした。英語も、EPCからのメールを読みながら単語を調べ、少しずつ覚えていく毎日。技術的にもわからないことだらけで、上司の長西をはじめ、多くの先輩方に助けてもらいながら、なんとか出荷までやり遂げることができました」。
さらに梅田はこう続ける。
「プロジェクトエンジニアは、書類の管理やスケジュール管理、予算の収支管理までしなければならず、正直なところ、技術者がここまでやるのかと思ったこともありました。しかし、日々必死になって取り組んでいるうちに、少しずつお客さまの技術的な質問にも答えられる場面も出てきた。本当に無我夢中でしたが、この経験が今の仕事にすごく役立っています」。
現在、梅田はプロジェクトエンジニアとしての経験を買われ、技術者として受注活動を支援するフロントエンジニアリング部に所属している。次はどんな大型プロジェクトを受注するのか。その命運は、梅田の活躍にかかっている。

ENGINEER DATA

梅田 準

機械システム事業部 気体機システム部
フロントエンジニアリンググループ / 2010年入社

工学部 化学システム工学科 卒

採用について

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